2006年12月24日

硫黄島からの手紙

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     (C)2006WarnerBros.EntertainmentInc.andDreamWorksLLC           

昨日、観てきました。映画「硫黄島からの手紙」。
なんて感想を述べて良いのやら・・・?
まだまだ今後の上映期間も長いので細かいコメントは差し控えておくことにしようかな。。

陸軍中将・栗林忠道。
彼はアメリカの国力を充分に熟知していて勝ち目のないアメリカとの戦争は避けるべきだと強く主張していた。
(ちなみに連合艦隊司令長官・山本五十六も同じ意向であった。)
でも映画の中では彼のそんな精神が硫黄島へ着任した時点で既に消え失せてたのか、そう言うくだりがないのが残念だった。
でも真摯な、人情味溢れる彼の人柄は偲ばれました。
陸軍、海軍が互いに反目しあってたのも垣間見られましたね。
何故か開戦当初から陸海はいがみ合ってたンだから。。
この辺り、監督クリント・イーストウッドもちゃんと知っていたのかな?

とにかく丁寧に作ってある作品で内容も良くわかるし、爆撃シーンなどすごい迫力で隣の女性が思わず耳を塞ぐほどだったよ。
う~ん、でも・・・男の見る映画かなァ。。

嵐の二宮クン、好演してました。
ロスのオリンピック馬術で金メダル取った陸軍中佐・西竹一役の伊原剛志も良くあった役柄でしたよ。
あ、中村獅童は私生活同様、イヤな感じだった!アハハ^0^
元憲兵役の加瀬亮って若い俳優さん。いいオトコだったよ~。

最期に一つだけ。。
そのぉ、何て言うか、もっと踏み込んだ感覚が欲しかったなぁ。。  
[何かが足りない]映画でした。
posted by imno1 at 10:06| Comment(8) | TrackBack(0) | art | 更新情報をチェックする

2006年11月29日

映画「ALWAYS・三丁目の夕日」

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12月1日。今週の金曜日、午後9時!
ナゴヤ・中京テレビの[金曜ロードショー」で、昨年上映されて大変話題になった『ALWAYS・三丁目の夕日』が放送されます。
ボクも昨年末ブログにて拙い記事を載せました^^;;
  http://imno1.seesaa.net/article/10548073.html
とっても素晴らしい映画でしたよ。
ボクと同世代の人は懐かしくて、子供の頃の記憶が蘇り、きっと「胸キュン」となる事でしょう。。
若い人達だって[古き佳き日本]を感じ取る事が出来ると思うナ。。
見損なった人は必見デス!!
ボクも絶対ビデオ撮っとこ~~っと^^v
posted by imno1 at 22:44| Comment(6) | TrackBack(0) | art | 更新情報をチェックする

2006年08月16日

映画『太陽』

 盆休み最終日の今日、名古屋駅西口・椿町の『シネマスコーレ』と言うとっても小さな映画館に行ってきました。
全館座席数[51名]!ね、とってもちっちゃな映画館でしょ。
 今上映している映画はロシア、イタリアなどの合作映画『太陽』。
昨年の夏、ベルリン国際映画祭で話題になった日本の昭和天皇を題材にした映画です。
昭和20年8月、敗戦・降伏直後の[人間天皇・ヒロヒト]の心情を外国人の目を通して描いた映画なのです。
映画のテーマが外国人の目からは畏怖?畏敬?の念を感じ、日本人にとっても少しデリケートさを覚える『天皇陛下』。
その神仏的存在の天皇陛下の人間的な部分をクローズアップして、外国人スタッフが制作したワケで。
ですから日本での上映ははばかられたのか、一年たった今、ようやく上映される運びになった「曰く付き」映画です。
 昭和天皇役は個性派俳優「イッセー尾形」。
何となくすごく似てると思いました。
ここで簡単に映画の感想は述べられないです。
一言で言うと、簡単な様で複雑な映画でした。
始まり、展開、終末。映画だと思えば[な~んだ!]って思う単純な映画。
でも深~く考えるととっても難解。
不思議な映画でした。
 今は東京と名古屋でしか上映されていないようですね。
立ち見が出るほど話題になっていると聞き「こりゃ、見ておかなきゃ!!」と、行ってみた次第です。
はい、なるほどシネマスコーレでも立ち見が出るほどでした(ボクは座れた^^)。
座席数の倍の100名近く入れてたようです。
でも今週末からは国内上映館がうんと増えるみたいだよ。

映画『太陽』のホームページ、紹介しておきますね。
機会がある方は是非映画館へ。。まだまだやってます。

     映画『太陽』→ http://taiyo-movie.com/
さあ、明日から又、楽しい仕事だァ~~^^v(え?楽しい・・・??)
posted by imno1 at 23:24| Comment(18) | TrackBack(1) | art | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

東松照明写真展

愛知曼陀羅.gif
                          ↑チケットの半券の写真を撮ってみました
昨日午後、栄・芸文センターの県美術館に写真家・東松照明の写真展『愛知曼陀羅』を見に行ってきました。
東松照明(とうまつしょうめい)。
ボクには聞いた事がある様なない様な名前でした(スンマセン)。
秋山庄太郎や浅井慎平、加納典明、アラーキー・荒木経惟みたく有名人のポートレートや、写真集も撮る写真家ではない様なのでポピュラーにマスコミの前に出る事がなく、正直あまり詳しくは知らないヒトでした。
ただ、最近新聞やテレビのニュースでちょくちょく取り上げられ、題材が1950年代の地元名古屋・瀬戸などだと言うこと、そしてご本人も名古屋生まれで愛知大卒と身近に感じたので興味を持ち始めた!ってワケです。

館内に持ち込まれた写真は全てモノクローム(白黒写真)で1950年~60年位までのモノでした。少し66年のモノもありましたが。
だいたいがそのあたりの時代(昭和25年~35年)って日本の暮らし向き自体がモノクロでしたでしょ?
日用雑貨品だって、家具・調度品だって、人々の服装もしかり、今の様なカラフルなカラーではなかった様に思いません??
それって何十年も昔の記憶だからこそ今思えばモノクロに変わってしまったのだ!とか、或いはセピア色になってしまったのだ、とかではなく、実際に色のあまりない時代でしたもん。
そのぶん、自然の色はキレイだったよ。
夕焼けだって今よりずっと赤かった。
空の青、もっと澄んだ青だった。
海の青、もっと深い青だった。
ヒマワリも朝顔ももっともっとハッキリとした色でずっとずっとみずみずしい感じがした。
う~ん・・・、ボクが子供だったからそう思うのかなぁ??

1951年。昭和26年。
天丼・親子丼80円、玉子丼60円也。
そんな写真がありました。
ほほぅ、そんな時代だったンですねぇ。。
写真に写る子供の顔にはハナが垂れてる。
ほっぺや手のひらはかさかさにあか切れてる。痛そう。
汗や泥で服を汚しせっせと働く男たち。
子供をおぶい紐で背負い家事にいそしむ女。
現代の様にモノは豊富にはないのに戦後5~10年たった当時の日本人の心にはもう決して暗さはなく、むしろ人々の目は希望に溢れたキラキラした目をしていた。
ボクの目にはそんな風に写真が見えた。
事実、その後の日本は世界が目を見張るほどの高度成長を続けたのであった。。

昭和28年の台風13号。そして昭和34年の伊勢湾台風。
この地方を襲った巨大台風の被害をあらためて写真で見るとやっぱり悲惨でした。。

1959年(昭和34年)。
「豊川海軍工廠跡」の中の写真でコンクリートに機銃の弾痕が一杯ついた写真がありました。
この豊川海軍工廠ってのは、太平洋戦争当時、海軍兵器の機銃の弾丸を生産する日本最大規模の工場だったそうです。
米軍の攻撃を受けた跡なのでしょう。生々しかったです。。

美術館でもらった彼の[年譜]を見たら、11年前に「紫綬褒章」をもらったとんでもない名写真家でした。
賞も沢山取ってる写真家でした。
こんな人です。チラっと見て下さい。
東松照明:http://www.fujifilm.co.jp/photographer/2004_04tomatsu/
「写真家の誕生」って作品。とっても良かったデス。。
でもこの作品、本当は『皮肉な誕生・名古屋』って写真展でも紹介されてましたが。
なんでタイトルが変わってンだろ?

作品を見終わって10階の美術館からエレベーターで下りる時ご本人[東松照明]氏と偶然にも乗り合わせました。
関係者2人とご一緒でした。
他にも人が10名ほど乗っていましたが、誰も気がつかなかった様です。
だいたいボクもご本人かどうか自信がなかったのです。だって写真ですら彼を見たことないもの。
ただ容貌と話しの内容でそう直感した。100%間違いないと確信しました。
でも他の人がいたし。。
いなきゃ声をかけて感想を述べ、サインをもらったのにな。。
家に帰って早速インターネットで調べたら、やっぱりご本人でしたよ。。
年齢だけは76歳のおジイちゃんだけど、シャキッとカッコいい人でした。

『愛知曼陀羅(あいちまんだら)』。
この写真展にはココでは書き尽くせないほどの感銘を受けた。
カラー写真とは違った趣きでドキュメントタッチですからすごく心に響きました。少し同じ時代を歩いたから。。
7月23日までやってます。
お時間作って是非どうぞ。。

うわぁ、長々と書いちゃったナ^^;; おつきあいアリガトウございました。
posted by imno1 at 12:23| Comment(8) | TrackBack(0) | art | 更新情報をチェックする